江戸怪賊伝 影法師 前篇
(解説) 大正十三年七月、軍使立石駒吉はマキノを東亜に合併させて「東亜キネマ」とし、この合併に不満を抱くスターを大量に引抜いて帝キネに入社させた。阪妻もその一人であったが、阪妻と犬猿の仲であった市川幡谷も帝キネ入りしていた事に腹を立て、雲隠れしてしまう。結局、半年後に元に戻り、不満の一つであった社名にもマキノの文字が復活して「東亜マキノ等持院」となった。本作品は阪妻の復帰第一作、「東亜マキノ等持院」第一回作品として公開されたものである。 内容的にも、アメリカ活劇の手法を取り入れた野心作である。 (略筋) “明和から天明にかけて、江戸の街中を悠然と闊歩した、影法師と呼ぶ痛快な盗賊があった。悪事は働いても、彼の遣り口に独特の皮肉と茶目気があり、洗練された鮮やかさと一種の小気味よさがあった”と、このタイトルから始まる物語は、悪を倒し弱きを助ける奇賊影法師の...
文戏比武戏更有意思,谁不喜欢娇羞的阪妻